諸葛亮2006/01/24 00:33

降り込める雪に隠れし我が道に

           気づく人もなし 春はまぼろし


珍しく今年二度目の雪が降ったのが数日前。
車で走ると、田畑にはまだかなり雪が残っていました。
人の踏んだ跡もない、真っ白な雪・・・
きれいでありながら、どことなく寂しい。

ふと、劉備の訪れを受ける前の孔明を思い出しました。
溢れる才と、それを思う存分活かしたいと言う夢とを持ちながら
誰にも見出されず、田畑を耕す生活をしていた孔明。
晴耕雨読、とはのどかな響きですが、それははたして孔明の
本当の心境だったのかどうか・・・
「いつかは」と言う希望は、「もしかしたら、いつになっても」と言う
不安と背中合わせだったのではないでしょうか。
それに耐えることもまた、孔明にとっては必要なことだったのか。

まぼろしかとも思われた春は、やがて確実に孔明に訪れることに
なるわけですから。

コメント

_ 千華 ― 2006/01/25 22:33

こんにちは~~。
孔明さんの心境が鮮やかに表現されていて、さすがは翠蓮さん!
確かに劉備に見出されなかったら、孔明は歴史の表舞台には出てこなかったかもしれません。
人と人との出会いの妙、不思議さですね。
寒い日が続いています。風邪などひかれませんよう。

_ 翠蓮 ― 2006/01/25 23:47

千華さん、こんばんは~
コメントありがとうございますm(__)m
千華さんも、風邪にはお気をつけ下さいね。

珍しく積もった雪を見ていて、なぜかふっと思い浮かびました。
こんなふうに雪で真っ白な田畑を、孔明さんもひとりみつめて
いたのかなあ、なんて(^^;
臥龍と呼ばれていた頃の孔明さんの心境は、想像を超えるほど
複雑だったのではないかなあ。
待つと言うことの、期待と不安、どちらに傾いていたのでしょうね。

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