紫陽花 -間人皇女-2011/06/12 00:41


望む色に
咲くとは限らない


雨が似合う
この花は


ひんやりと
水の色


物憂げな
溜息の色


胸深く沈む
紅の色


薄雲の下
どこかよそよそしく


まるで
心の在り処を
雨のとばりに隠すよう


誰にも
わかりはしない


誰にも
気付かれてはならない


貴方のため


ただ
そのためだけに


どんな雨にも耐え
想いを秘めて


淡く微笑む如く
咲き続けていることを



(イメージポエム 間人皇女)

冬の星 -中大兄皇子-2011/01/05 00:24

冬の星は
なんと冴え冴えと


冷たく気高い光を
放っているのだろう


息さえも
凍りつくような闇の中


その蒼白い光は
かすみもせず
よどみもせず


小さく鋭く
輝き続ける


何も
迷うことなどないのだ、と


確かな兆しを
もたらしてくれる


揺らぎはしない
ひるみはしない


この胸に
目指すものがあるなら


行く手を隠す雲など
吹き払ってみせよう
何度でも


生ぬるい情けや
狎れ合いはいらない


燦然たる意志を
掲げ続けよう


満天を司る
蒼く厳しい
冬の星のように



(イメージポエム、中大兄皇子)

間人皇女2007/06/01 00:00

降る雨に 打たれ色増す 花の如

         秘めし想いの 褪せることなし


間人皇女(はしひとのひめみこ)、兄は中大兄皇子、
弟は大海人皇子。
後の天皇二人を兄弟に持つ皇女。
ドラマチックに生きた兄弟に劣らず、彼女の運命も
また奔流に押し流されるようでした。
あの時代、女は男のように、自分の意志ではまず
生きられない。
いえ、男性だって、なかなか思うままには
いかなかったでしょうが(^^;
女性、特に身分ある皇女ともなれば、当然のように
政略結婚の道具とされてしまいます。

間人皇女も、そんな一人。
親子ほども年の違う、孝徳天皇のもとへ嫁いだのです。
しかも孝徳天皇には、すでに小足媛と言う妃もいましたし、
彼女との間に息子(有間皇子)もいました。

間人皇女が、どんな日々を過ごしていたのかは
わかりません。
が、兄である中大兄皇子が遷都を決め、孝徳天皇が
それを退けると、天皇を残し、兄と行動を共にします。
そのこともあり、中大兄皇子との禁断の恋説も
ささやかれるわけです。

残された天皇から、皮肉とも取れる歌を贈られますが
それに対する返歌は伝わっていないらしい。
批難されるのも覚悟の上で、天皇のもとを去ったのでしょう。
儚げなイメージのある間人皇女ですが、たおやかな中にも
しっかりとした意志を持った女性だったのではと
想像します。

中臣鎌足2007/04/01 00:05

宿命の秤は 我の胸にあり

           知勇に優る 君に傾き


中臣鎌足、後の藤原鎌足。
才能も野望も持つ鎌足は、自分が使えるべき主を
誰にすべきか、おそらく熟考したことでしょう。
最初、古人大兄皇子に目星をつけたものの、
どうやらその器ではないと見切ったらしい。
そして、中大兄皇子に目を留めました。

かの有名な飛鳥寺での蹴鞠の折、中大兄皇子の
ぬげた沓(くつ)を拾い上げた時から、二人の力を
合わせた戦いは始まるのです。
国の土台を固めるためには、冷徹なことを為すのも
臆さない中大兄皇子は、鎌足にとって頼もしく
思えたはず。

もしも、有間皇子がもう少し年がいっていたら
鎌足も迷ったかもしれませんね。
残念ながら、有間皇子はまだ若すぎた。
おそらく、中大兄皇子ほどの強靭さは持ち合わせ
なかったのではないかと思われます。
誰よりも、歩調を合わせられるであろう相手として、
中大兄皇子を選んだ鎌足の目は確かだった、と
言えるでしょう。

有間皇子2006/09/01 08:00

平穏を望みし我と いま一人

          熱き誇りに 猛る我あり


有間皇子は、本当に中大兄皇子に対して謀反を企てていたのか?
これはいまだに、私の中では答えの出ない謎です。
有間皇子の父、孝徳天皇はあくまでも傀儡のような存在の天皇だった。
政の実権を握っていたのは、中大兄皇子。

そして、たとえ政略結婚であったとは言え、父帝の皇后だった間人皇女
を奪って行ったのも、また中大兄皇子。
しかも、それは兄妹と言う禁断の恋のはず。
まだ幼かった有間皇子には、そこまでの事情はわからなかったかも
しれませんが、それでも父帝の絶望、無念の思いは、深く伝わって
いたのではないかと思います。

失意のうちに、亡くなってしまった孝徳天皇。
その皇子である有間皇子にも、やがて策謀の手は伸びて来る。
それを避けるために、わざと物狂いの真似までして見せた有間皇子。
しかし、中大兄皇子の目をごまかすことはできそうになかった。

この時、有間皇子の胸にたぎった思いは、はたしてどんなものだったか。
自分はあくまでも静かに、歌を詠み、穏やかに暮らして行ければいいと
願ったのか、それとも・・・
父の無念、皇子としての誇り。自分にも、中大兄皇子を討ち果たし、帝と
なる資格は十分にあるはずだ、と考えたとしても不思議はない。
もし、まったくそんな思いがなかったとしたら、たとえいかにも巧妙では
あったとしても、蘇我赤兄の謀に乗ったかどうか・・・

でも、そうだとしたら、あっけなく策が破れ、中大兄皇子に尋問された時
堂々と自分の立場を主張し、認めてもよかったのではないか。
「天と赤兄のみ知る。我まったく知らず」と、きっぱりと答えた冷静さからは
まったく逆の有間像が浮かびます。
やはりあくまでも赤兄に(そして、赤兄の後ろにいる中大兄皇子に)よって
図られたことであり、自分は何も知らない、だから何ひとつ臆することは
ないのだ、と。

いったい有間皇子の真実はどこに?
これは・・・永遠の謎、かも(^^;
だからこそ、この皇子への興味が尽きない、とも言えますね(笑)