会津・・・2009/04/27 10:09

阿弥陀寺の鐘楼
念願の会津への小旅行から帰って、もう2週間たちました。
ふと、会津の街並みを思い出しては、心が飛ぶことがあります。
会津藩と新撰組。
共に、最後まで幕府を守って戦った者同士。
やはり縁が深いのだなと、あらためて思いました。
会津には、容保公の墓所はもちろん、天寧寺に近藤勇の墓所が、そして
阿弥陀寺には斎藤一の墓所があります。

幕末、京都守護職に就任した会津藩主、松平容保(かたもり)。
容保が支配下に置いてくれたことにより、新選組は京の治安部隊として
働くことができたと言えるでしょう。

戊辰戦争での敗戦色が濃くなった頃、すでに新選組幹部も、戦死した者、
病で戦列から離れた者、袂を分かった者と、心細い状況となっています。
そして、局長近藤勇の捕縛、処刑。
斎藤一は、隊士たちの一部を率いて、会津へ向かい、会津藩の指揮下で
戦いました。
足を負傷して、戦列と離れていた副長土方歳三がようやく合流したものの、
土方はこの先の戦況を見越して仙台へ向うことを決めます。

斎藤は、最後まで会津藩と運命を共にすることを選び、会津に残ります。
会津は、まさに今にも落ちようとしていた。
おそらく、斎藤も死を覚悟していたのではないでしょうか。
会津藩が降伏した後も斎藤は戦い続け、容保が派遣した使者の説得で
ようやく新政府軍に投降したそうです。


会津へ行こうと決めた時、斎藤さんのお墓のある阿弥陀寺を見てみたいと
思いました。
調べると、七日町通りと言うところにある。
七日町通りは、昔ながらの建物が残っているレトロな雰囲気の通り。
なので、七日町通りまで歩いていけそうなホテルを探しました。
夕方ではありましたが、七日町通りを散歩しました。
阿弥陀寺は、七日町駅の近く。
通りに面しているので、歩いていると、いきなり境内が覗けます。

夕方だったせいか、お寺のは入り口には小さな柵が置かれ、それを
押しのけて入る勇気もないまま(笑)、通りからお寺を眺めました。
鐘楼があり、白い木蓮が咲いている静かな境内。
この中に、斎藤さんが眠っているのだなと・・・
ここまで来ただけで、境内を眺められただけで、なんだか満足しました(笑)

会津は、とてもいい街です。
いつか、また訪れる機会があることを祈って・・・
その時はもう一度、阿弥陀寺まで七日町通りをふらりと歩いてみたい。