姜維 (2) ― 2007/01/17 22:56
駆け抜けし 我が生き様を 天に問う
煌星(きらぼし)の君 今こそみまえん
1月18日は、姜維の命日と言われているそうです。
現代の暦にすれば、3月はじめくらいらしいですが。
魏の武将として生きながら、孔明の前に降りた姜維。
孔明の遺志を継ぎ、あくまでも魏との戦いに挑み続けた
その生き様は、時に批判をも受けています。
あまりにも無謀な戦いを続けたと・・・
けれど、たぶん姜維には、その生き方しかなかったのかも
しれないと思ったりします。
病をおしても、司馬懿との戦いに身を投じ、ついに五丈原に
斃れた孔明を見守っていただけに、姜維は魏との戦いから
逃げることなどできなかった。
蜀の国に、魏軍を立入らせぬこと、そのために何度でも
戦いに出向いたのでしょう。
残念ながら、この姜維の決意は、成都の宮中の者たちの
理解するところではなかった。
宦官らが権力を振るい、宮中は堕落しきっていたから。
亡き孔明が、もっとも嫌ったであろうその様子に、姜維も
どれほど心を痛めたことか・・・
蜀のため、最期まで戦い斃れた時、姜維の胸にあったのは
はたして何だったのでしょう。
導いてほしいと願い続けたであろう、天の星となった人に
ようやく会える・・・
そんな安堵の思いがあってくれたらいいと、ひそかに思います。
煌星(きらぼし)の君 今こそみまえん
1月18日は、姜維の命日と言われているそうです。
現代の暦にすれば、3月はじめくらいらしいですが。
魏の武将として生きながら、孔明の前に降りた姜維。
孔明の遺志を継ぎ、あくまでも魏との戦いに挑み続けた
その生き様は、時に批判をも受けています。
あまりにも無謀な戦いを続けたと・・・
けれど、たぶん姜維には、その生き方しかなかったのかも
しれないと思ったりします。
病をおしても、司馬懿との戦いに身を投じ、ついに五丈原に
斃れた孔明を見守っていただけに、姜維は魏との戦いから
逃げることなどできなかった。
蜀の国に、魏軍を立入らせぬこと、そのために何度でも
戦いに出向いたのでしょう。
残念ながら、この姜維の決意は、成都の宮中の者たちの
理解するところではなかった。
宦官らが権力を振るい、宮中は堕落しきっていたから。
亡き孔明が、もっとも嫌ったであろうその様子に、姜維も
どれほど心を痛めたことか・・・
蜀のため、最期まで戦い斃れた時、姜維の胸にあったのは
はたして何だったのでしょう。
導いてほしいと願い続けたであろう、天の星となった人に
ようやく会える・・・
そんな安堵の思いがあってくれたらいいと、ひそかに思います。
コメント
_ 千華 ― 2007/01/19 00:22
_ 翠蓮 ― 2007/01/19 21:45
千華さん、こんばんは~
見て下さってありがとうございますm(__)m
千華さんに姜維の命日をうかがって、何か書きたいなあと
思っていました。
孔明亡き後の姜維は、本当につらかったでしょうね。
結果からしたら、報われなかったとしか言えないですが、
でも、きっと孔明だけは「よくがんばった」と言ってくれるのでは
ないかと思いたい。
いえ、きっとそうですよね!
夜空で一番美しい星を、孔明だと思って、微笑んでみつめて
いたくれたらと思いますね。
コメント、ありがとうございましたm(__)m
見て下さってありがとうございますm(__)m
千華さんに姜維の命日をうかがって、何か書きたいなあと
思っていました。
孔明亡き後の姜維は、本当につらかったでしょうね。
結果からしたら、報われなかったとしか言えないですが、
でも、きっと孔明だけは「よくがんばった」と言ってくれるのでは
ないかと思いたい。
いえ、きっとそうですよね!
夜空で一番美しい星を、孔明だと思って、微笑んでみつめて
いたくれたらと思いますね。
コメント、ありがとうございましたm(__)m
わ~ん、このブログを拝見して、思わず泣けてしまいました。
ほんとに姜維って報われない人だったんですよねえ。
斜陽の蜀をたったひとりで、よくぞあそこまで支えてくれた、って思うのだけど。
でもまあ、彼がいたからこそ、「三国志」は最後まで光を失わなかったといえるのかもしれません。
最期の瞬間、彼は笑っていたのかなあ。笑っていたらいいなと、そしてその視線の先に孔明の笑顔があったならと、本当に心の底からそう思います。